栄久庵憲司(榮久庵憲司、読み方:えくあん・けんじ)氏は1988年、「世界デザイン大賞」を受賞した。日本人としては初めての受賞だった。
栄久庵氏は、工業デザイン事務所「GKインダストリアルデザイン研究所」(本社東京、資本金4000万円)の所長だった。
「世界デザイン大賞」(1988年)
世界デザイン大賞は、全米工業デザイン協会(IDSA)が制定する賞だ。4年に1度IDSAが開催する大会で贈られていた。工業デザイン振興に世界的に貢献した人物が対象だ。1988年はニューヨークで大会が開かれた。
栄久庵氏はソ連(現ロシア)のデザイン協会会長、米シラキューズ大教授とともに受賞した。創作、著作を加えた幅広い工業デザインの普及・振興活動が認められた。
栄久庵氏の人生
栄久庵氏は1955年(昭和三十年)に東京芸術大美術学部図案科を卒業した。その後、GKインダストリアルデザイン研究所を設立した。
1972年(四十八年)に京都で開かれた第八回世界インダストリアルデザイン会議の実行委員長を務めた。1976年(昭和51年)国際インダストリアルデザイン団体協議会会長に就任した。
1985年(昭和六十年)、第二回国際デザインフェスティバル総合プロデューサーを務めた。1989年、名古屋で開催された「世界デザイン博覧会」の総合プロデューサーにもなった。
栄久庵さんの動画
↓死去のニュース(2015年)
日産自動車が米国で販売している小型ピックアップトラック「ニッサントラック」(日本名:ダットサントラック)が米国工業デザイナー協会(IDSA)の1986年工業デザイン優秀賞を受賞した。
米国工業デザイナー協会の「工業デザイン優秀賞」(1986年)
日本の自動車メーカーが工業デザイン賞に選ばれたのは初めてだった。トラックの受賞も初めてという。表彰式は1986年8月9日(現地時間)、イリノイ州シカゴ市のノースウエスタン大学で開かれた。
IDSAは毎年、優秀なデザインの商品を選び、表彰している。当時は輸送機器、事務機器、家具、パッケージなど12部門だった。選考には工業デザイナーやデザイン大学の教授などがあたる。1986年は輸送機器部門に三百点の応募があった。最優秀賞10点、優秀賞35点が選ばれた。
ニッサントラックは米国生まれのモデルだった。日産の米国デザイン会社である「日産デザイン・インターナショナル社」(本社カリフォルニア州サンジエゴ市)が米国市場向けにデザインした。日産九州工場と米国日産自動車製造が生産していた。
動画
↓ダットサントラック
1990年に最優秀賞
「日産デザインインターナショナル」はさらに、1990年に最優秀賞を受賞した。
将来の小型トラック(ピックアップ)のデザインを具体化した「ゴビ」での受賞だった。「新しいピックアップのイメージを作り上げた」というのが授賞理由だった。
日本メーカーが最優秀賞を受賞したのは初めてだった。
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